最近仕事の都合で地元の久米島に帰る事が多く、その時は実家に宿泊しているが、先日地元の友人と夕飯を食べに行く機会があり車で迎えに来てもらった。友人は実家にはこれまで訪れた事がなかったので、電話で場所を説明して来てもらったが、約束時間を遅れてきた彼は集落内で道に迷ってしまい、僕の住む集落は迷路の様だと言っていた。その言葉が僕にはとても以外で印象的であった。

実家の集落の構成は基盤目状に近く、道路は縦横にほぼ真直ぐに走り構成としては分かりやすい集落配置で、沖縄ではよくみられる。友人が道に迷った理由は、夜であった事と集落の多くの住宅の屋敷囲いにブロック塀が使用されているので、どの住宅も同じ様に見えて、道を走っているうちに自分の位置が分からなくなったようだ。

僕が小さい頃の集落は、道路は舗装されずに砂や砂利道で雨の日は水溜りが出来それをさけて歩いていた。また、宅地の境界には生垣が多く赤花が植えられていた。現在道路は全てアスファルト舗装され、宅地境界にはブロック塀を設けている住宅が多い。アスファルトになった事で水溜りを気にせずに歩け、車もスムーズに走れる様になったし、ブロック塀は生垣に比べ手入れがいらず耐久性も良い。

しかし、小さい頃と現在の集落の街路(道路空間)を比べると色が無くなった様な感じを受ける。あの頃の街路は自然の材料や植物に囲われているので、多くの色に溢れ、歩いているといろいろな物が目に飛び込んできて楽しかった。

現在の集落では、道を歩くとアスファルトとブロック塀の色が際立ち色彩的に暗い感じを受け、また友人が感じた様に画一的な街路の印象を受けてしまう。以前と比べると確かに生活する上では便利になったが、前の街路がもっていた豊かさは失われてきている。前の未舗装の道路や生垣に今から戻すべきだとは思わないが、例えばブロック塀を緑化したり花鉢を置くことで、灰色が緑色の塀に変わるだけでも街路の風景は一変するだろう。この事は僕の地元だけでなく沖縄の多くの集落や都市部でも同じことが言えると思う。